情報。

ボケてしまった祖母の部屋の掃除をした。ボケてしまった祖母は同じことを繰り返し言う。沼津出身で富士山の偉大さを何度も説く。祖母の記憶の底の底にあるもんなんだろか。

記憶の底の底以外にあったものは部屋にある。古びた人形であったり、沢山の本。色んな地方、世界の名産品。今でこそ、それらは当たり前に手に入るし、本から得る情報もネットで簡単に拾えるものばかり。けど、祖母の時代には実際にそこに行き、触れ、知り、読み、体得するために使ったツールなんだ。

今の祖母には底の底の記憶しかないが、それを、それたらしめている経過が部屋にはたくさんある。

ただ、僕らにとってはそれはゴミでしかない。とっておきたい気持ちもあるが、本はもう風化してしまっているものもあるし、情報を得るソースとして全く今は機能していない。悲しいけど、これはゴミなんだ。

人を形成した情報の諸々が、ゴミになってしまう。それを僕は捨てなければならない(新しく住む人のために)。

ただでさえコアしかない記憶にすら、他の無くなってしまった記憶にすら悲しくなってしまうのに。祖母の人生を削っているような作業。なかなか割り切れん。

まだ、その祖母が生きているだけたぶんマシ。なんだろけど、そーゆーふーに考えたくないよ。

モノより思い出より人。って考えなきゃやってられんよ。