思いの丈

tokyo.sora [DVD]

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好きだ、 [DVD]

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この監督の嗅覚が好きだ。この手の映画を見ていると見終わるのが嫌になる。終わらずにずうっと自分を捕らえ続けてくれれば良いのに。こういう時に限って終わる事を拒んでしまう。普段なら終わることばかり望むのに。境界が曖昧なのか、はっきりし過ぎていて拒んでいるのか、分かっていても分かりたくないことだけども。

宮崎あおい作品が妙に増えてきていて、彼女自身はどう考えているのだろう。ユリイカや害虫、ほんで緑水のCMに出ている頃の彼女がすごく好きだった。喋らずとも世界を構築出来るその存在感は他の類いを見ず、その年齢からして絶対であった。いつからだろう、彼女がメインカルチャーに躍り出てきたのは。ラブドガンの失敗に始まり、様々な監督の作品に彼女は出演し、その都度、昔の彼女にはあったまるで天気が徐々に陰るような演技はコントラストを増し、より不明瞭になるつつある。成熟しつつあるのか。灰色の部分が急速に無くなりつつある。悲しい事だ。

とまぁ妄信的に宮崎あおいが好きなんでこんなこと書かせてもらいましたけど。




好きだ、を見て色んなもんが触発されてしまった。かねてから好きだったものも思い出してしまったし、これから自分が生きたい自分もちょっと思い出し、見えてしまった。ある種、犬童よりもえぐいやり方で触発されてしまった。あの人は非現実的であるのに対し、この好きだの監督は現実的に心を抉りにかかっている気がする。記録された風に演出される影にはこれは非現実である、もしくは理想、願望であると投げかけてるのか。おそらく作り出される物はいつも自分のキャパを越えているものが多く、誰かに何かをいうのと同様に少なからず理想を含んでいるものだ。だけどこれはその空転した理想では無く、もっと一般的に、そしてとても近い理想に対する願望なのだと思う。このような手法はなかなかで出来るものではないな。

わからないけど、きっと見たくないものがたくさん多いんだろな。



そう、見たくないものが多いのだ。
艶やかな世界を創造するのもひとつの手だ。だけどそれは作り手も受ける側も嘘と知っていて、非現実的な理想を互いに共有しているだけだ。もっと現実的な理想(その理想が幸か不幸かはどうでも良い)を具現化したいのだ。『はじめに言葉ありき』だなんて言いたくない。無理に向上心を抱く必要も無いんだ。それがっマイノリティだというならそれでも良い。
ってもそれに対する覚悟はまだ決まっていないんだけども。



ひとつ小さな悩みがあったんですが、解決されそうな気配がします。結果どう転ぶかは分からないけれど、どの道そこに行かなければ先が無いように思えてきたのです。そう思えるようなキッカケを与えてくれたのは、当の人にも自覚が無いだろうけど、やつだったりします。総じてこれは結果的に時間として片付けられるのでしょう。


頷かなくても構わない。どちらも。だけどもそうせねば先が無いと思うんです。
笑う為には。