あがるさがる

実家に帰ってきて知りたくも無かった事実を知ってしまい、悶々とする。日々生活するうえではそこまで考える必要もなく、一日の大半はその事実を忘れているのだけど、家にいる限りその現実は確実に垣間見えてしまい、完全に忘れきることは出来ないようだ。兼ねてからその気は見えていたけども、やはり立派な名を与えられてしまうと最早疑うことも、甘んじることも出来なくなるようで、自分の中ではそんなものには流されないぞと強くいようとしているのだけど、実質考え出すと気分はメタメタになってしまう。

とはいえその事実あったかどうか、あるかないか、以外は大して変わることもなく、分かっていたことだから僕個人としては何も変わらず接していくことは出来るはずなのだ。ただ、そこに潜む身勝手なイメージが夜な夜な膨れ上がり、良くないことも考えてしまう。

実際、今この時分、自分のことだけを考えるわけにもいかず、大筋9割は自分のことを考えている(理想値ですが)けれど、やはり先のことも考えなきゃ行けない状況の中で、この事実はまったく無関係と切り離せる問題でもなく、どこか自分の意見をしっかり持たないといけない気がするのです。それを口にするかどうかは別として、今あるこの事実に対し自分が考えを巡らすかどうか、ということが重要なのだろうなと。


話は変わって実生活は今月は収入が安定してて、かなり自由が利く月になった。ある程度自分の中で余裕が出てくると物事当たり前であったものの見え方が少しだけだけど変わってくる。精神の黒い影から抜けて、ようやくニュートラルに物事が見えているような、そんな感じ。後ろめたいこともまだまだたくさんあるけれど、不謹慎だけどそれを事実として受け入れて歩いていくことが大切なのです。とりあえずひょうひょうと生きていこうと思います。