茶番症候群

『I thought what I'd do was,
  I'd pretend I was one of those deaf-mutes』


てのが携帯の待ち受け画面でちかちか光っていて、現在だけでなく、意外とずっと前からそうなのかもしれない、とぞっとしたり、落胆したりした。


『破』を見ました。
坂本真綾にグッと来た。万人が言う様に凄い出来だった。超絶満足。さて次はどうなるか。


おこった事、はいつも次第に風化して、なんだかんだ忘れるんだけど、その行程は苦く、なかなか飲み込めない。トラウマとは言いたく無いんだけど、性分かも知れない、そういうのがある。ずっとあって、それは増える一方。忘れる事はある。が、だからこそ思い出した時にひどく落ち込む。雑で、他人を相手を顧みずにきた反動か。それだけの業を、何も果たしもせず、自分だけが大事に出来ると、本当に思ってしまったのが原因なのか。すべて精算して、挑まねばならないのか。思った事は幻か。霞める程、弱っているのか。怖いのか。どこに原因があるのか、探して治すのが正しいの?信じれない自分が弱いのか、信じる要素が無いのか。分からない。ただ鈍い痛みがずっとあって、それに身体を馴らしていく?そうなるとそれがもう、第一義でなくなってしまうけど、そういうものなんだろか。分からない。分からないなんて言いたく無いけど、純粋に抗う元気が今は無い。『俺を殴ったな?』と、鋭い眼光で楯突く元気が無い。求めても無い、なんだか、そういう行為が馬鹿らしくさえ思ってしまう。なんだったんだろうとさえ思ってしまう。立ち上がる元気が欲しい。自分の底から。でも出ない、から諦観を抱いてしまう、ぼんやりと見てしまう。それでおそらく、良い、んだと思う。此処では。この場面では。

たぶん、自分はそんなのは求めてない。望んでいない。ただ状況がそうあるように求めているんだと思う。そう考えると、先も昔も今も無く、何も生み出す事も無く、ただ時間が流れて行くだけになるんだろう。それはなかなか心地の良いことではあると思う。何の責任もなく、ただ流れて行くだけ。何も残らず。業を背負うこともなく。

ちょっと前までそれがいちばん面白かったんだけど、もう、そういう愉しみは飽きてしまった。遊び過ぎた。これ以上色んな感覚から麻痺出来る程、考えもしっかりしてないし。もう堕ちれない。そこまでの人間である。


状況環境が変わって、勝手に慌ただしくなっていたけれど、ちょっと落ち着いたのは事実。どうこうそうこう出来るもんでもない。考えたって仕方ない。考えたって、仕方ない。もう少し力を抜く事にする。だって馬鹿らしいんだもの。