物より思い出より人、の思い出の物

なくなるのかもしれんもののまえになくなったあとのことをかなしんでないて、めのまえにあるいきているもののまえでなにもできないじぶんてなんなんだ。できるはずのことができなかった。こえがでなかった。

祖母が先週末に意識を失って、それから食事をとっていない。祖母は少し離れた老人ホームに居て、主に父方の姉が面倒を見ていた。意識を失ったキッカケは推測であるみたいだけど、眼鏡を無くしてしまった事らしい。ぼけていて、記憶も混濁しているけれど、今、見たもの、に対しては機敏に反応していたらしい。見たもの、がどれだけの刺激を与えていたんだろか。その刺激が無くなった時に、倒れてしまったらしい。

それよりかちょっと前に祖母の部屋を掃除していた。祖母がそこに住まなくなってから随分経った部屋。部屋にはたくさんの本があった。知識に情報に貪欲であった事がよくわかる部屋だ。放っておき過ぎて原型を止めてない本をたくさん捨てた。捨てるたびに、記憶が曖昧な祖母の記憶の根本を削り取っているような感じがした。とても辛かった。祖母に常に刺激を与えていた、見たもの、の跡。

祖母の身体はどこもまったく悪くないらしい。祖母がまた、見ること、が出来ればまた元気になるかもしれない。

半年くらい前になるか祖母に会った時、その時僕はもう無かったみたい。僕の事を息子(つまり父親)と間違えていた。祖母はずっと富士山の歌をことあるごとに歌っていたから、今度富士山の写真を持って行こうと思う。登っとけば良かったなぁ。

こんど、つぎは、また、らいねんは。

ここでないているばあいではない。