諦め人が持つ光

考えることをやめたら人間じゃなくなります。てなことをどこかで聞いたことがあるけれど、当たり前じゃねーか、なんて思いながら、実は考えることをやめてたんです。やめてた、のか、やめた、のか分からないけど。その手のことをここ数年行ってないのは確かです。勝手に精神世界に引きこもっています。今も尚。そりゃ生活に関係することは考えなければいけませんが、なんか、こう、熱意みたいなものはもうあまりないみたいです。

他人に言われるまで気が付かなかったんですけど、やっぱりそうみたいなんです。未開の地に飛び立つ勇気!みたいな情熱があまりないんすわ。上辺だけで。天井が分かればそれまでの道筋はある程度分かりますし、疑似情熱みたいなもんは捻りだせます。でも本当のものは出て来ません。

信じる代償、みたいのに過敏で、逃げているところがあります。闇雲に一直線に走ることが全てだとは言えないけども、そういったような要素を内包してますよね情熱って。なんだかね、自分で言ってガッカリしてしまうんだけど、どうみても阿呆臭いんすわ。でもそう思う自分にガッカリしてるんすわ。

そーいやあんときそんなこと考えてたなぁってなことをよく聞く。当時は自分に納得させる為に答えを導きだしてた。それは今も変わらない。けどまだ今はもう少しそれを普遍的に考えてやろうかとも思えて来ている。だけど当時、そこらに転がっていた考える弾は自己解決てな具合で処理されてしまって、完全に不発弾になっておる。そうなってしまうと今更それを原型に直し、新しく作り直すなんて作業はもう面倒で。

当時は本当に自分でも嫌になるくらい、弾が転がっていた。処理しきれずにパンクしそうになって、窓口を閉じた。それが今も続いてる。蓄積されて成長していくはずの情報が途絶えた。何回も言うけど生活に関するそれは耐えること無く続いて来て入るけれど。

あんときに諦めなきゃもう少し違ったもんになれただろか。考えても仕方が無いが。