壊れた間接照明

痛々しいラヴ (Mag comics)

痛々しいラヴ (Mag comics)

浪人時代に買った間接照明がある。3つのライトからなるそれは大きさ、デザインが丁度良くて、京都に居る今も重宝している。3つのうち2つのライトが壊れてしまって、今は1つしか点かない。安価なものなので修理に出しても直りそうにない。値段は3000円。コスト以上に活躍している。まだ販売されているけれど、自分が買った銀色はなくて、今は黒色のものしかない。桜木町ビレッジバンガードで買って、横浜駅に戻る。桜木町駅に行けば良いものの、ジャックモールにある電気屋で電球を買いたいのだ!とか理由づけて横浜駅まで帰る。持って運ぶには大きすぎるのに、そんな面倒も一緒にいればなんら苦痛でもなかったのだ。お互い実家から通っていた身分だし、お互いの関係のなかで生活感を見いだすことなんてなかった。この間接照明を買って、ふたりで自分の家まで運ぶ、この行為が妙に生活感を感じさせ、今までに無い新しい満足感を二人に与えていた。
この照明のさいごのひとつが壊れてしまったら、自分はこれを捨てるのかなぁ。
捨てられないなぁ。捨てられないだろなぁ。

痛々しいラヴを読んでいて、彼氏彼女がたくあんを買って帰るのを見て、その彼氏に恋する女の子は『付け入る隙間がないや』と確信した、てなシーンがあった。それと似たような感じ。今となってはそんな生活感は当たり前で、なんの満足も無い。だけどあの頃はこんな行為にもドキドキしていたんだ。ってなわけで思い出したのです。

今の状況にそれが無いわけではなくて、それを感じられる程の余裕が無いんだと思う。当時にまつわるものが色々とフィードバックしてきて、情報記憶等等、ひどく懐かしく思ってしまう。ここには確実にないもの。今昔的な時間軸ではなく、時間の消費の仕方、行動力、そして目的。全てが今ここに無い。未知よりも既知が多いような錯覚。今よりもひどい諦観の念。

ああもう、海に行きたい。帰省するたび行こうとするのだけど、朝が遅いせいかなかなか行けない。海ならどこでもいいわけではないのだ。少し曇った湘南だったり、世界の終わりのような夕焼けが見えた金谷港の海だったり。自分の生活環境に基づいた海じゃなきゃ嫌なのだ。