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エイリアンVS.プレデター (2枚組 プレミアム) [DVD]
- 出版社/メーカー: 20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント
- 発売日: 2006/04/28
- メディア: DVD
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だいぶ前にゲーセンで並んでたプレデターを彷彿とさせます。あのゲームは何気に秀逸だ。
安ワインをラッパするのにはまっていて今もそれをしているんだけど、食道に違和感を感じているため、なかなかいい気分になれない。経験だ認識だなんてことをまだ考えていて、つきつめればつきつめるほど何も信じれない錯覚に陥る。考え過ぎとかよく言われるけど、実体験を元にしないとなかなか物事を信じることが出来ない質なので、無駄に考え抜いてしまう。結論なんか出ないのだが。ただこう考えることも恐らく経験に依存しているわけだし、何もかもが経験と類推に基づいているのだなぁと。それを苦しいと考えるのは真実に救いを見いだしているわけで、真実が果たして本当に人を苦しみなり何なりから解放して、幸福にさせるのかというとそうでもない。経験だとかを超越した情報がっ直接はいってきたとしても何も処理しないわけだし、俗に言う考えるということすらなくなる。不幸不安てのは実質的状況に依るって考えがちだけど、本当は邪推にあるんじゃないかなと思うわけで。考える、ってな範囲のなかに邪推が含まれるわけだから、考えることをやめたら不幸不安にはならないわけだ、つまり苦しみと言われているようなやつからは解放されるわけだ。それが幸せなのかどうかは分からないけど。ただまぁ本当に邪推てのは面倒なもんで、無くなってしまうのであれば何でもしてやる、なんて思ってしまうんだけども。考える、の範囲のなかに幸福てのものも含まれるんだけど、それは邪推からなる不幸不安のマイナスからゼロを意識したときの躁なんじゃないかなーと考えるんです。結果、考えることをやめたら人間は幸福になれるんではないだろかと。まぁニンゲンは考えて(複雑な選択をしながら)生きてるんだろーし、無理なんだろーけども。
結局、真に信じれることなんか無い世界ん中で、擬似的にも幸福に生きる為にはやっぱり信じることが大切なんだなと22年目にして初めて思ったのです。誰かをとかそんな具体的なところではなくて、もう自分の頭ん中に走り回ってる全ての事柄を。誰々を信じる、何々を信じる、と考えるとやや利潤はらんでそうなったと思われるかもしれないけど、そんなものも飛び越えて、信じている自分を信じなきゃいけないわけです。言葉足らなくてうまく言えないけど、ポジティブに信じることを提唱したいわけではなくて、ニュートラルに、ただ信じることが大切だと自分に言い聞かせたいわけです。そんなんなんです。