懐古

としか言い様が無い。久しぶりにカティサークなんぞ飲んでいるし、YouTubeボキャブラ天国なんぞ見るわ。浪人の時に撮った写真が少しだけ評価されるとか、昔の曲集めたりするとか、小学校教諭のドキュメンタリー見るわで。思い出してばっかり。比較して云々なんて上昇志向も無いし、それよか記憶も記録も無い新大陸ばかり目指す一方で。新しく興味があるのかそれとっも別にまだ自分が引っかかっているだけなのかとか。そういうのは考えないようにしてんだけどどうしても残ってるみたいで。考えようとすることを自制するのはやっぱり無理みたいで、考えたあとのことを自制しなきゃいけないだなぁって。
新しい価値観が欲しいのは今の今が嫌になってるだけで、それがフィットしてるかどうかは別で、長いスパンでは正解かもしれないけどどこか痒くてすぐに脱ぎたくなる。発見に伴う安心と快感、以上に痛みを怖がってしまっているのは現状に不満という不満が無いからなんだな、なんて考えると考えては与え、与えられたら次に行く、てな具合になってしまいそう。純に求めるものは常住なるものではなく、変化し得る且つ魅力的な物。求めている時点で常住なるものはおかしいのか。そうか。
どれだけでかい基準があるんだろう。懐古主義なくせに求める物は多い。だけど過去の経験がそれほど有意義だったかと言われるとそうでも無い。夢想家だ。
昔は酔って終わりだったけども最近じゃそれを思い起こしてみても自分に不可解な点があり過ぎて少し嫌になる。だけどその時の自分もある程度認めてあげないとこれからの自分も信じられないような気もする。
ともあれ支柱が必要なのだ。



うだうだ何回も何年も同じことを言っているが、最終的に結局自分は
幸せなのだ、紛うこと無く幸せなのだ。痛感することは少ないかもしれないが、幸せなのだ。
それ信じれば良いのだ。見つければ良いのだ。