トータル

京都タワーを買った人が多く多く色んな場面で彼らの曲を聴く。元々好きなんだけど聞き逃してる曲が多かったみたいで、彼らの素敵さを改めて再認識することになる。岸田は常に爆発してる感じがする。

そんなこんなでジョゼを再び見てみる。監督は犬童でスチールは佐内、音楽はくるり。無敵の組み合わせ。池脇は顔で演技の出来る女優だし、あの映画は色んな意味で大作であり、問題作だった。見た後、わき上がる気持ちは後悔に近い物だけど、自分以外の誰かも責めたくなる。誰をせめて良いのやら。そんな作品を犬童はいつも作っている。あいつの嗅覚は反則だ。金髪の草原然り、メゾン・ド・ヒミコ然り。

佐内の写真も場面場面で出て来てふと考える。彼って写真家というよりももっと別な何かじゃないのかなーと。『瞬間を切り取る』というものだけ考えるのであれば写真家であるのだろうけど、それだけじゃないなぁ。あの人ってあの人が生み出す何かよりもあの人がコラボった何かの方がより鮮明でインパクトがでかい気がする。言葉や別の表現で視覚以上の感覚を補っているのかもしれないけど。あの人は何か媒介みたいな気がする。とても目立つ媒介。

そんな風に考えると何か一つ特徴的な物だけを取り上げて考えるよりも様々な歴史や要素等を考えながらその人について考えた方が面白味はやっぱり深まるのかなぁって思った。今まで音楽なら音楽、映画なら映画、それ以上の情報は得ようとはしなかったんです。というのも特筆すべき物が曇るんじゃないかって考えていたから。どっちもどっちなんだろうけども。
とはいえ、やっぱり自分以外の物を考えるとトータルで物を見るわけだし、そういった視点も考えなきゃ行けないんだなぁと、今になって思ったわけです。