死んだらどうする?

以前、wikipediaでのゴキブリの記事が秀逸過ぎる、というような話をしたんですが、追記がされていて、より秀逸になっていました。特に共存共栄の項の記述。色んなフリークがいるとは思うけれど、さすがに『深夜の歩行音やまれに奏でる羽音が孤独感を和らげる場合』ことはないと思う。様々な駆除方法が書かれていて、ゴキブリ的にはさぞかしぞっとする内容なんだろうな。


今日は総持寺に行ってきました。家の近くにある曹洞宗大本山石原裕次郎のお墓があるところ。日比野雷風という神刀流の開祖のお墓があるところ。墓石の脇にある石碑に東郷平八郎の名前が刻まれていた。それだけでなく当時の陸海空軍の大将の名前が刻まれていた。偉大な人なのだろう。墓石もとても立派でたくさんの人が足をとめて見入ってた。
墓地。大谷本廟に行った時は流石に圧巻で感動したけれど、そこまで墓地マニアというわけでもなくて、天気も良いしふらふらと、てな具合で行ってみただけなんですが。歩き回ってるとすこし考えてしまった。
お寺と契約して定期的に清掃され、奇麗なお墓もあれば、何年も放置されて一カ所だけ森みたいになっているお墓もある。アホみたいにでかいのもあれば、集合住宅みたく同じ形で固められたものもあったり。みんなどんな思いでお墓参りしてるんだろう。うちはあまりお墓参りというものをやらないので、そこに故人が居る(というか在る、というか)という風にあんまり思えないんですよ。行ったら行ったでそれこそ儀式的に一礼して、はい終わり、てな具合になると思う。今は。亡くなった人の為にお墓があるわけではなく、残された人の為にお墓はあるのだよ、というような話を聞いたことがあるんだけど、それは思いとかも若干含まれるのだろうけど、それとは別に多くはその家のステータス、という風にも捉えられるそう。そゆよなものなのか、と少しガッカリしてしまう。
いまのところ、死んだら普通にtony44家代々の墓に納められるんだけども、ちょっと前は鳥葬とか遺骨を海に流してくれとかいうようなのに憧れてました。が、お墓参りに行って『実はここに遺骨は無いんだよ』なんて言われると軽くショックを受けそうな気もする。故人は思いの中でだけ生きていれば良い、と頭では思うんだけど、実際、お墓ってなもんがあって、そこに何らかの故人の痕跡が無い、となるとやっぱ寂しいものなのか。だけど殆どの時はそのお墓のことなんか忘れているのに。なんだかなぁ。ウーン。


とりあえず、お墓に入るのならば、ガッチガチに整備されたような墓には入りたく無いなぁ、とぼんやり思いました。面倒なんだろうけども、どっか好きな山にぽつんと納骨してもらって墓石立ててもらえればそれでいいや、なんて。そう簡単にいかないんだろうけども。