確かに気が付けば七夕は終わっていた。前日まで逢瀬は遂げたが。当日にこうなるのがいやはやなんとも。自分は面倒くさい人間である。どれだけ言葉を重ねても、届かないときがある。たとえるのならば、どろどろに解け合った液体が、ひとつの瓶に補完される感じ。どこまで行ってもそれには届かない。ずっとそうだった。それはもう、不可能に近い話なので、出来る限り、伝えられる手段を最大限に用いて、伝えているつもりであった。


届かない。と思ってしまったこと。思ってしまった事が問題。今までずっとそうだった。僕のイメージを貼付け、それに適う返球を望んでいただけであって、ともするとそこに相手の意志は無かったのかも知れない。(僕自身それを無碍にしてきた事もあるだろう、残酷過ぎる。)


与えられるだけの立場で、それをろくに返さなかった人間が、その反動に痛い目に遭って、改善したつもりではあった。つぎのときどこか、見えない返事があったとして、気付けなかったのは自分の落ち度。だけど、もしかしてそこに何も返答が無かったとしたら。注ぐものだけあって、それに浸かり、ぬるい状況を良しとして、錯覚している自分にっも気付かないままの人が隣に居たとしたら。


元来打たれ弱いのである。攻めては強いのだが。根は深い。どーせーこーせーかえれーと言うのは身勝手。直りゃそれでいいんだが、それを相手に求めるのも不幸だ。合えば良いんだが、こういう罠があるなら、よりもっと、慎重にはなってしまう。

どんだけ不利になっても、それでも一緒に居たいと思うから、馬鹿なりに考えて、馴れない努力をしてきたつもりなんだけど、逆の立場になった時に、その努力が一厘も感じられないときはどうしたら良いだろう。信じれない自分も当然責める。けど、頑張った自分が可哀想になってしまう。なんだったの?


分かっていてもらえたはずのもんが覆って、分かっていたつもりのものも覆った。どうして良いのか分からん。

どうして良いのか分からんのは、どうにかしたい証拠なんだが、どうにかしたいというよりも、この乱れた心境をどうあれ落ち着かせたいと思ってしまうのはどなんだろう、まだ良いのか。


人に人の意志が伝えられん。思いが先走る。




面倒である、といえるうちはまだ幸せ。