当たり前の事が当たり前と感じれる事はとても幸せなことだ。その考え方に未来も生産性も無いけれど、ぶれずに立てる体力を養い、保てる事は、意外と何事にも代え難い貴重な感覚だと思う。同じ環境で忙殺されている人を見、殊更そう思う。屁理屈をこねればそこにこそ幸せを見出せなければ多分、耐えきれないんだろうけども。何かと何か、色々と無駄なことや余計な事をやってきたお陰でいい感じに諦めはついているので。それを否とする意見に対し、なにくそ、と思う自分が居ないわけでもないが、真っ向から立ち向かう気力も必要性も無い感じがするので、このまま季節の風に流されている。と、自分を戒めている感じも抜けないのだが。

当たり前の事が当たり前と感じれる事はとても幸せなこと。
変化や成長を外部から求めるのはようやくお門違いなのだよということが分かってきたような。とはいえ、求める行為は無くならないのだけど、何度も言う様に、互いの変化、ケミストリーを求めるのでなく、当たり前の事を互いに幸せだと感じ合えたらそれで良いのだと。気持ち感情は飽和しているのかも知れない。けども、それは実は悲しいことじゃないのかもしれない。分からない事も多い。けどもそれは今分からなきゃいけない事でもないと思うし。同じものを見て、同じ様に幸せになる事は簡単な様で難しく、そういう関係を持てる事は奇跡に近いのかも知れない。そう思えたら瞬間の不安や疑念、夢のような互いの成長なんて、塵みたいなもんだな。