ELECTRIC WATER

ELECTRIC WATER

香港に行ってた時にも寝る前にはこれを聞いてた。少し中毒気味。気持ち良過ぎるテンポ。そこまで暗くも無く明るくも無く。久し振りに好きなアーチストに出会えた。
淡麗500ml×3 その後神の河が控えている。既に少し気分が悪い。


こゆよなもんを書くようになって既に5年が経つ。高校ん時から書き始めて、書く内容は今ではもー目もあてられないよなもんだった。今になって初めて少し距離を置いて書くことが出来るけれど、たまにまだどこかで表出しないとイカンと思うときがある。必ずしもそれは俺がそうしたい時ではないのね。その行動がしたい、というよりもすることでなるたけ自分を分かりやすいものにしたい、と考えるからなのだ。濁しながらしか進めないくせに自分は自分と言う液体に置き換えて落ち着ける瓶を探してしまうのだ。確かな瞬間を得るために自分は長いスパンで続けていられるようなある程度の普遍性のあるものを故意に見逃しながら進んでしまうのだ。考えてみると物事全ては液体みたいなもんでその場その場によって質も温度も変えていくものなのに、その多様性についていけない自分は一瞬は永遠になりえる、ってゆー少し曖昧な解釈の中でしか納得出来ないようになってしまっている。そのために物事をいちいち凍結させてそこに留まらせ、風化してしまうまでそれを愛でてしまうのだ。風化する前の液体の状態と、風化した後に何もなくなってしまったあとの間の時間は短いものではなくて既に物事を測る自分の尺度は変わりつつある。そこのギャップに苦しむことが多い。簡単に言うと経過を結果のように擬似的に自分を信じ込ませ鬼の首を取ったかのようにその瞬間を賛美してしまう、こと。何も待ってくれはしないのに。なかなか変化に追いつけない。
何故変化を追ってしまうのか、を考えるのは今は面倒くさいのでやめておきます。こゆのは結構面倒臭いもんだし、言わずもがなある程度の予測は付くと思う。

−番外− 吐き捨てておきたいこと
妙に鼻につくやつが多い。ほぼ同類。昔からそれをどこかで意識していて別物として考えていたところがある。根本は同じ。大差もないけれど。妙に隠してしまったせいでそれはひっぱり出し難い奥底に隠れてしまった。掘り返したいとは思うのだけど。やっぱり妙に鼻に付く。考えれば考えるほどこゆよな場所に日記やら何やらを残していくことはマジでアホなことだなぁとつくづく思う。自分から自分を遠ざけるのに物凄く便利過ぎるからだ。