20051015
女の子に生まれたならば思うことが今まで幾つかあって。責任を放棄したかったんだーと。偏見と思われるかもしれないけれどずっと誰かに寄生して生きてたかった。無理だ。子供生まれる時すげー痛いっつー話を聞いて男のでよかったと思った。そんなもんだ。
自分のがたいの良さを嫌悪したこともあった。細身がすきなんだ。だから好きになる女の子は殆どがやせっぽちだ。自分の理想を重ねでんだね。自分の女々しさにどれだけ悩んだことか。だけれど結局は自分を好きでたまらない現実が見えてしまって、男の子なんだなと。
深夜までお酒飲んでると段々明日が無くなって今しかねーとかゆーよーな幻覚を見るようになる。だからこの時間でも行動的だ。煙草が切れそうだし外に出るがてらお酒を買おうかなと考える。
夜になるとお酒を飲むーとかゆー行為。限りなく明日に近い時間帯に逃亡を図る行為。そしてそれを助長するお酒の力。この相性の良さはなんだろうか。覚醒剤とか大麻が容易く手に入る環境ならば逃げて逃げて腹上死したいところだ。こんな風習作ったのは誰だみんな疲れてるな。
期待しすぎ昔の自分に。どこまで行っても自分は自分の範囲から逃げられない。可否を自分で決めること、それ以外のことが出来ない自分はどれだけ世界を狭めているのか。多様性が求められる世界において頑固さは少しは必要かもしれないけれど、それが自分を構成する多くの部分をしめているのならまた違うことだよと。
不幸を笑いながら夜泣くことしか出来ないなんて悲しいじゃないか。悲しいこと以外何があるんだと。理想染みた気丈さなんて。気丈さなんて。場面場面に散らばる自分を再発見し再結集し完全なる個としての自分の発見に関して余念が無い。無さ過ぎる。その隙間に他人の存在っつースパイスを加えられない。そうはなれないんだ。自分が出来るのはこの世界しか無いんだ無くなったんだ。昔は云々、というよりも昔からきっと俺はそうだったんだ。

こんなん言ったらどーなのよ、っつー話だけど匿名性を主としてる世界でなんでコミュニティが必要なのと突っ込みたいんです。それで本当にいーのと。ネット日記ジャンキーの自分が言うのもあれですが。夢の見せ合いで満足できる時間。俺個人そことリアルの踏ん切りが付かないからなかなかうまくいかないんだろうけど。踏ん切りがつかないのはそこまで自分の多様性みたいなもんを強調したくないから、つか同一化したいから、なわけだし。だったらやめろゆー話なんだけども。最早中毒ですんで。

駄目だ。お酒買いに行こう。助けてなんて絶対にいわねーぞ頑張れ俺。なんか今日最低だ。