キチガイという言葉がなんで差別用語なのかってのが分からないんです。差別をしている対象ってのが分からないんです。例えば、『重度の精神疾患を患って、夢か現か区別出来ないような人』を指すんだろか。それか最早『人にあって人では無い』というような存在を指すんだろか。なんだか僕は、後者を指しているような気がしてならないのです。『それでも人である!』的な論拠に欠けるヒューマニズムにしか聞こえないのです。すべてがすべて、後者のような解釈をもって、且つそれらを『人でない』なんて思ってるなら人権問題だ!てな弾みなんでしょうが。キチガイて言葉は昔からあったし、それを人でない、なんて思っても無かったでしょう。

学が足りないので僕は全ての裏付けは出来ないけれど、少なくとも僕は『キチガイ』という言葉を状態として示して、存在としては捕らえてはいません。というか出来ないんだと思っています。寧ろその言葉を存在として捕らえてしまうのであれば、それこそが差別にあたるんではないかなぁと思うのです。差別用語、にあたった言葉は確かにと思うことも多いのだけれど、それに乗じて、無用な所まで標的になってしまうのは少し違うんじゃないかしらと思うのです。